升子の日記

著者  川嶋保良

発行所 有限会社青蛙房





「升子の日記・沼津の章」

周、升子夫妻、沼津へ移る

西夫妻は大築一家、川上冬崖、静岡まで行く今井という人たち(部屋を貸してくれた人か)と連れ立って沼津へ旅立った。今井は京都で西の塾生であり、荒井筑後の夫人は升子と同船して京から帰った人で、今井はその供をしていたというから、賑やかな旅になった。

十一月十五日、旧沼津城内の御殿が役所となり、十九番屋敷に落ち着いた。周は沼津兵学校頭取として、ここで二年近く過すことになる。周が沼津兵学校頭取に着任するいきさつは『西周全集』第三巻「西家略譜」に詳述されている。

十一月二十日、同居していた大築一家が十七番屋敷へ移った。その日、将軍の侍医で、慶喜について静岡に移り、静岡藩病院の副長をしていた林梅仙が、子供を預って欲しいと連れて来たので西夫妻は承知した。梅仙は洞海ともいい、周がオランダに留学した折、長崎から同行した医師林研海の父である。十一月二十日、「預かって欲しい」と梅仙が西夫妻に頼んだ子息紳一郎は研海の十六歳下の弟である。

二十九日、船で送った荷物が届いたが、浅草にいた時のままで、その後、一時、収入も途絶え、買い足すこともなかった。大築夫人が余り少ないと笑うので、升子が京都から逃げ帰ってからこれまでの生活を説明したら納得してくれた。

 

十月十九日雨。

今朝五ツ時出立す。川上に立ちよる。御同道申、利介供。荒井筑後さま家来、今井といふ人、静岡まで参り度御供させ下されといふ。沼津迄供に加へたり。

設楽さん、萬屋見送りの事。品川中喰、夕方川崎岩屋といふに宿りたり。

十月二十四日天気。

今朝六ツ時出立。四ツ時頃、沼津宿本町近江屋に着す。

十月二十五日天気。

今日、小松屋にうつる事に申来りたる故うつる。

十月二十六日天気。

今日は三枚橋の鈴木与兵衛方隠宅にうつる様申来りうつる。当分居る事となる。三度々々同家よりはこぶ事。

十月二十九日天気風つよし。

今夕四ツ時、大築御夫婦、小供一人、家来一人来る。八畳二間、三畳、入口一間づつ住居たり。家来両人三畳居る。

十一月十五日天気後曇り。

旧城内御殿御役所となり、十九番屋敷へ引移る事に相成る。大築は同居の事。

御二方とも今日より御出勤の事。

十一月二十日天気。

今日、大築さん十七番屋敷へ御うつりになる。林梅仙様御出にて、子供置下されと御申被成、御承知になる。

十一月二十九日天気。

今日、舟廻しの荷物着す。長持一、箪笥一、水風呂桶の中に勝手道具少々入れあるのみ、明荷四つ、両掛一荷は陸持参る。大築さんのも同様着。大築奥さん道具が余りすくなしとて是切ゝとてお笑なさる故、私どもは京都に参り両掛一荷にて帰りました。余は捨て参りました。ぶん取りになりましたと御咄しせしにやうく御わかりになりたり。』